ガバガバ思考体系

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永田遼太郎氏の記事から考える、勘違いされる「2番強打者」と「バントの有効性」について

勘違いされる「2番強打者」と「バントの有効性」について

 

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という記事を読んで、やるせなさと、ちょっとした怒りを覚えたので、これらに関する自分の考えを述べたいと思う。

 

本当は、統計をきちんと用いたり、ちゃんと本を読んで、詳しく書きたいが、ちょっと怒りをぶつける程度なので、少し大雑把に述べる。

 

そもそも「2番強打者」が最近流行っている理由とは何か?

 

セイバーメトリクスという考えが、野球界に徐々に浸透しつつある今、旧来、常識とされてきたことが覆され始めている。

 

その一つが、「2番に小技ができる選手を置くのが正しい」という考えである。

 

この源流となったのは、俺の記憶が正しければ、前人未到のV9を達成した名監督、川上哲治だろう。

 

それまで、三原監督の”流線型打線”、鶴岡監督の”400フィート打線”、など、様々な考えをもって、打線は組まれてきたはずなのだが、川上哲治が文句のない結果を残したことによって、2番に小技がうまい、バントがうまい選手を置くのが自然と当たり前になってきたと思う。

 

もちろん、古来の野球において、2番に小技を置くという考えがあったことには違いないが、プロ野球黎明期の強力打線の一つ、阪神タイガースの”ダイナマイト打線”の並びを見ると、2番バッターに、ミスタータイガース藤村富美男”、シーズン3塁打の記録を持つ”金田正泰”が座っているし、1950年代前半の巨人打線を見ても、”千葉茂”といった、強打のセカンドが2番に座っていることからも、そこまで主流な考えではなかったことは明らかである。

 

この当然となっていた常識を覆したのが、近年、セイバーメトリクス、野球を統計的に分析したことによって明らかになった、「2番にチーム最強打者を置くことが一番得点効率がよい」、という分析結果、「2番最強打者論」である。

 

 

”論”とは書いてあるが、論もなにも、これが絶対の正義である。もっと簡潔に言うと、上位打線にチームでよいバッターを並べるのは、統計学を用いずとも、確率を考えれば当たり前である。

 

なぜか?

 

野球の試合で最もノーアウトで回ってくるバッターは誰か?1番バッターである。

 

つまるところ、効率よく得点を取る方法は一つ、1番から始まる攻撃を、一番点が入る並びにすることであり、小技ができる云々の前に、打てる打者を並べるのが得点効率がよいのは絶対的に明らかである。

 

 

よく勘違いされていることの一つとして、じゃあ2番に”井端弘和”(元中日、中日黄金期を支えた名ショート。小技が非常にうまい選手だが、率も残せた)のようなバッターを置くのもダメなのか、否、そういうことではない。

 

 

俺が思うに、”2番最強打者論”から得られるTipsは、とりあえず2番に最強打者を置くこと、というよりは、上位に打てる選手を並べろ、ということである。

 

例えば、2005年の井端弘和は、.323という高打率もさることながら、OPSも.800を超えているし、彼の全盛期の成績を見ても、平均してOPS.750前後の数字は残している。この値は、それぞれのリーグの平均にもよるが、悪くない。もし、全盛期中日の2番打者として最も適正が高かったのは、”福留孝介(現阪神)”だったことは自明であるものの、別に、井端を2番に置いたからと言って、急激に得点効率が落ちるわけではない。

 

だがら、落合監督時代を代表する上位打線の4人、荒木雅博(元中日、中日黄金期を支えた選手であり、盗塁王の常連)、井端弘和福留孝介T・ウッズ(元横浜・中日、歴代でもトップクラスのHRバッター)をどのような順番で並べようが、そこまで得点効率が変わるとは思えない。大事なのは、この4人を固めて並べる、ということである。

 

話が少し逸れてしまったが、ともかく、セイバーメトリクスの浸透、そして上記で述べたような簡潔な合理性によって、「2番最強打者論」は、MLBNPBなど、野球界のトレンド、常識ともなりつつあるし、今年のプロ野球でも、読売ジャイアンツが2番に”坂本勇人”をおいたり、千葉ロッテマリーンズも2番に”マーティン”をおいたりしている。昔では考えられなかったことだ。

 

”バントの有効性”について

 

もう一つ、セイバーメトリクスで覆された野球界の常識、”バントは、ヒッティングの場合と比べて、得点効率が低い”である。

 

これもよくよく考えれば当たり前のことで、送りバントは1アウトを与えても1点を取りに行く戦術、ヒッティングは、2点以上を取りに行く戦術で、統計を取った場合、ヒッティングのほうが、平均的な得点が高いのは考えなくてもわかることである。

 

しかし、今プロ野球界を見ても、初回に先発投手の立ち上がりが安定せず四球を出す、2番バッターに送りバントのサインを出す、うんざりされられる…こんなシーンが未だに見られるのは非常に悲しいことである。

 

北海道日本ハムファイターズを2連覇に導いた名将、トレイ・ヒルマンは「バントは日本人にとっての精神安定剤だ」という趣旨の発言をしたことで有名である。彼は監督に就任した2003年以降、ビックバン打線、強打の打線を組み続けたが、いまいち結果が出ず、2006年に、2番に小技のうまい”田中賢介”を置くつなぎの野球を志向して、結果を出したという経緯があった。この田中賢介も、3割打てる強打者であったことが、ヒルマンの素晴らしいところであるのだが。

 

なぜ、初回ノーアウトランナー1塁でバントをするのがダメなのか、理由はいくらでも挙げられる。立ち上がりが悪い投手に簡単に1アウトを与える、1アウトランナー2塁のあと四球でランナーが出た場合三振と同意義になる、そもそもバントが100%成功する戦術ではない…など。

 

さらにいうと、2番に初回からバントをさせるということは、打撃における期待値があまり高くないバッターが座っている可能性が高い。今回は1番バッターが出塁していたからいいにしても、もし凡退していたらどうなるのか?おそらく簡単に2アウトになり、3番に座っているであろうチーム最強打者に2アウトランナーなし、勝負しなくてもいい場面で回すことが多くなるだろう。

 

これは初回に限らず、だいたいの場合においてそうである。1点を取りに行く細かい野球をむやみに神聖化する人間が未だに多いのはどうなんだと思うが、ほとんどの場合において、1点を取りに行くより、大量点を狙うほうが、勝利に繋がる可能性が高いことは、小学生でもわかることである。

 

では、このバントが有効な場面とはなにか?少ないケースとはいえ、もちろんある。1 点でも取れば大きく勝率が上がる場面である。

 

例えば、盤石なリリーフ、クローザーがチームに控えていて、1点取れば勝てる確率が非常に高い、9回表ノーアウトランナー1塁のような場面である。もちろん後ろのバッターやバント成功率も考慮に入れるべきだが、多くの場合において、送りバントをしたほうがいいと思う。

 

他にも、例えば味方の先発にエースが登板している、1点リード、もう1点取ればかなり安心して勝てる、みたいな状況だったり、7回2点リードでもう1点取ればやはり安心だ…つまり、大量点を取りに行くよりも、堅実に1点を取るほうがベターな場合である。

 

あとは、ゆさぶることで、”今後のアドバンテージに繋がると考えられる”場合、ここではセーフティバントである。もし打者側にセーフティバントという選択肢があるのであれば、守備陣やバッテリーは当然その可能性を考慮しなければいけないし、その打者がまさかセーフティバントをするまい…と言った場面でも非常に有効である。

 

具体的な例だと、今年の交流戦福岡ソフトバンクホークスvs読売ジャイアンツの初戦、6回2アウト満塁の場面で”甲斐拓也”が虚を突いた見事なセーフティバントを決め、それが大きな点となりチームを勝利に導いた試合である

 

永田遼太郎氏の記事を読んで思うこと

 

以上を踏まえて、上の永田遼太郎氏の記事を読むと、なんだこりゃ、となる。

 

読んでもらえばわかると思うが、ようするに、彼の大まかな論調はこうだ。

 

「8月13日、東京ドーム。北海道日本ハム千葉ロッテの6回表、0-1のビハインドの場面、ノーアウトランナー1塁、ランナーは非常に走塁がうまい荻野貴司、バッターはマーティン。ここで井口監督はヒッティングを選択したが、打球はライナーとなりゲッツーでチャンスを潰してしまった。この井口監督の選択の背景として、以前の試合で、10回裏同点ノーアウトランナー1塁という状況で、マーティンが送りバントを試みて失敗したという伏線があった。だから、送りバントという選択肢が出せなかったし、それを察した日本ハムの守備陣は、内野がチャージをかけてこなかった。この井口監督のヒッティングという采配は、以前の失敗から導かれた、非常に消極的な選択肢だ。この2試合とも勝ったから議論にならなかったが、試合を分ける勝負所で走者を送れない、そうした野球が今後の日本野球にとってどうなのか、という疑問を、イチローの言葉や他の例を引用しながら強調し、結論として、ヒッティングだけでなく、送りバントやバスターも選択肢に入れよう、相手チームとの駆け引きを楽しもう、大味で一発長打や派手な得点シーンばかりが野球の醍醐味ではない。」と述べている。

 

大まかと言いながら、かなり長くなってしまったことに、要約の難しさを感じたのはさておき、いろいろとおかしなところがある。

 

まず、8月13日の試合の場面のチョイスである。

 

もしこのような論調で書きたいのなら、同点の9回表に、ノーアウトランナー1塁でヒッティングをして裏目に出た、といったような場面をチョイスするべきだし、それに対して、送りバントやその他の選択肢もあった、大味な野球はどうなの?という風に展開するべきである。

 

しかし、6回表の0-1、ノーアウトランナー1塁、バッターは強打の”マーティン”、相手投手はそこまで好投手とは言い難い”村田透”、対してロッテの先発は、徐々に信頼を取り戻しつつあるもものの、今シーズン不調の”石川歩”、そしてロッテのリリーフは盤石とは言い難い。

 

1点ではなく大量点がほしいこの場面で、果たして送りバントは選択肢といえるのだろうか?答えは明らかである、ノーだ。

 

永田遼太郎氏は、この場面におけるヒッティングという采配を、以前の失敗からの、消極的な選択肢として批判しているが、そもそも送りバントが選択肢には存在しないはずのこの場面においては、的外れと言わざるをえない。もし批判するにしても、違う選択肢として、”荻野貴司”の盗塁、”マーティンのセーフティバント”を例として挙げるべきだっただろう、そうだとしても、強攻策失敗に対する結果論にしかならないが、まだマシである。

 

しかも、その伏線として、一週間前の10回表の2-2で同点のシチュエーションにおける失敗を挙げているが、どうしても1点がほしいこの場面における、送りバントは特におかしくない。後ろは強打の”鈴木大地”だし、”マーティン”はバントの名手のはずである(確かセーフティバントを何度も決めているはずだ)。

 

送りバントが有効でない場面と、有効である場面を同一視した批判、この2つのシチュエーションに連続性は存在しないはずなのに、勝手に伏線を作り出し、繋げようとするのは、どう見てもおかしい。

 

次に、「ヒッティングだけでなく、送りバントやバスターも選択肢に入れよう、相手チームとの駆け引きを楽しもう、ヒッティング志向の野球は大味で一発長打や派手な得点シーンばかりが野球の醍醐味ではない。」という考え、これもおかしい。

 

理由は簡潔、それを勝手に野球の醍醐味としているのは、永田遼太郎氏のエゴじゃん、ということである。

 

確かにヒッティングヒッティング…ばかりの野球はつまらないし、バントやバスター、盗塁やヒットエンドラン、そういったところに駆け引きは生まれる、という論調は特におかしくはない。

 

しかし、永田遼太郎氏がどう野球を見ているかはわからないが、少なくとも、8月13日のケースを挙げて、「野球が大味になっていくのは嘆かわしい」と述べる彼から見れば、必然的に、現代野球でトレンドとなりつつある2番強打者の論調に従って、今のプロ野球の試合を見れば見るほど、”大味な野球”と感じるシチュエーションは、それが果たして本当に大味かどうかに関わらず、勝手に増えていくだろうと推測される。それで”2番強打者”の風潮に異を唱えようとする、アホくさいとしか思えない。

 

俺は巨人ファンなので、基本的に巨人戦しか見ないが、少なくとも、”2番坂本勇人”の原巨人の野球が大味とは全く思わないし、ロッテ戦はほとんど見ないので確かなことは言えないけれど、井口監督が、大味で単調な采配をするとはとても思えない。

 

監督の采配について、やいのやいのと結果論で意見するのは簡単なことだが、明らかに間違っていることを除き、容易に批判されるべきことではない。一般的な野球ファンが考えているより遥かに、野球の監督というのはたくさんのことを考えていると思うし、むろん、”大味な野球”をやろうとはしていないだろう。

 

一応彼の擁護に回るとすれば、彼は社会人野球もよく見る人間で、社会人野球は短期決戦で、彼の言う野球の醍醐味。バントや盗塁etc…が多く見られる。その彼からすれば、プロ野球は大味に見える、という側面ももちろんあるだろう。しかし、都市対抗などでは、よくエース級の投手が登板するし、守備の上手さ、守備シフトの完成度、内野の連携などといった面で、プロ野球と比べて劣るのは明らかであり、バントの有効性も大きく上がる。これは高校野球にもいえることで、アマチュア野球においては、送りバントはより有効的な戦術として機能してくる。

 

しかし、そういったことにふれずに、彼は本文で、「年間143試合を戦うプロ野球と、トーナメントが主になるアマチュア野球ではそもそも戦い方が違うと言う意見もある。果たしてそうだろうか。人間は習慣の生き物である。143試合、大味な戦いを続けた先に光はあるのか?」と述べている。アマチュア野球を”短期決戦”、プロ野球を”長期戦”という正しいようで間違ったくくりにして、大味な野球を批判するのは、やはりおかしいし、「俺は細かい野球がみたいんだ!」というエゴ、個人的な欲求で、”2番強打者論”に難癖をつけているようにしか見えない。

 

この記事を読んで、「2番強打者」やバントに対する間違った考えをもった人間が増えてしまうのは、非常に残念である。